中庸とは何か?(メンタルコントロール)

色による自己実現 
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 中庸とは?

中庸とは、考え方、行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと。

私が扱う色は、全部で12色ありますが、その色が人間の行動形態や、思考形態を表しています。もっと言えば、色とは、その人自身を表す象徴的なもの、つまりシンボルであるともいえます。

この光の束である12の色は補色という関係で成り立っています。

お互いにお互いのバランスを保つために、反対側に自分を支えるいわばパートナーのような色を持っているということになります。それが互いに向き合い、互いの足りない部分を足したり、また引いたりして、そのバランスを保っています。

この12の色の中心には光があり、その光作ろうとしたとき、この両者の色は互いに一番バランスの良い50/50の状態を作りださなければいけません。どちらかの色が強すぎて、またどちらかの色が弱すぎれば、その真ん中に光をともすことは出来ません。

この真ん中の光はこの両者がバランスよく引き合ったときにその一番中心で初めて生み出されるものになります。

 昔やった虫眼鏡で紙に火をつける実験

皆さんは覚えていますか?今となっては虫眼鏡に太陽の光を一転に集めてその紙を燃やすという実験こそないのかもしれませんが、私が子供の頃はそうした理科の授業がありました。

あの頃はその実験がなんとも不思議で、どうして太陽の光を虫眼鏡に集めると紙が燃えるのか全く理解できませんでした。

あの実験からわかることは、紙の上に太陽の光を小さく小さく一転に集中して集めていかなければいけないということです。そうしなければ、そこに紙を燃やすほどの熱い熱は発生しないということになります。

この理屈は色にそっくり当てはまります。色もまた補色同士で互いに引っ張り合い、そのバランスを50/50で保たない限り、その中心に光がともることはない。

つまり、私たちの精神の源である光という源泉はそこに発現しないということになります。

中庸、精神のバランスを保つとは?

私たちの精神は全部で13の色と対応しています。13番目の色はPINKという色であり、それは12の光の束とは別で存在しています。

この12の光の束、これはともに、それぞれパートナーとなる色を持っています。

この向かい合う補色といわれるもの同士が互いに自分の分をわきまえ、そして自分のパートナーとこの50/50の関係を築くことができた時、そこには、光が生まれます。でも、ここで生まれる光は全体の内の一部であり、それがすべてではありません。

12の色があるということは、6つの色が互いに向き合い、互いに相補関係にあるということになります。

ということは、この6つのラインが、正常に作用して初めてその中心に大いなる光が生まれるということになります。

この光がまさに、私たち人間の心を真に復活させてくれるものとなります。これを自身の中で復活させることができた時、私たちの人間性は完全に回復し、そしてその自分はこの世界で完全無敵な存在になる事ができます。

 真なる幸福とは、6つある補色の関係を互いに50/50で維持させること

・BLUEの補色はORANGE です。

・YELLOWの補色はVIOLETです。

・REDの補色はGREENです。

・TURQUOISE BLUEの補色はCORALです。

・OLIEVEGREENの補色はMAZENTAです。

・GOLDの補色はROYAL BLUEです

これら、すべての色を共に50/50で維持させることができた時、私たちの心の中には何にも影響を受けることのない安住の地が現れます。それが光の地であり、これこそが、仏教のいうところの悟りの境地ということになります。

 生活しているとどうしてもこの補色同士のバランスが崩れていってしまいます。それはなぜ?

誰でも皆、涅槃の境地にたどりつきたいとそう思うものと思いますが、何にも邪魔されない平穏無事な世界に生きていたいと思うものですが、私たち人間はいつも何かに惑わされています。これが煩悩ってやつです。

この私たちの心の中にある様々な煩悩っていうやつが、私たちの精神のバランスを保たせることを難しくさせてしまいます。

私たちは、どうしても二色あるうちのどちらかの色に偏りがちになり、その色に強く依存しすぎてしまうという傾向を強く持ちます。

それはなぜか?私たちは、二色あるうちの自分に都合の良い色の方にしがみつくからです。

私たちは自分にとって、都合の良い色に同一化しています。そして自分にとって都合の悪い色は、自分から疎外します。これが、補色同士のバランスを維持することができない最大の原因です。

私たちは一方の色だけを愛し、そしてもう一方の色にはめっぽう厳しいものです。

自分が受け入れている色と反対にあるものは、自分にとって都合の悪いものや、都合の悪い感情を反映しています。なので私たちは、反対にある色を受け入れそれを自分のものとしようとはしません。

そうなると、自分にとって都合がいい色の方が伸びすぎてしまって、逆に都合の悪い部分が縮みすぎてしまって、中には、一方の色だけが過剰に突き抜けてしまっている人すらいるくらいです。

それでは一向に自分の中に完全なる光を発現させることも、その光を発動させることもできません。

私たち人間の生きる目的は、自分の内なる光、つまり、失ってしまった自らの人間性を回復することだ私は考えています。

これなくして、私たちは自分を人間であるなどということは言えないのではないかと考える今日この頃です。

中庸という概念は、アリストテレスのニコマコス倫理学のにも出てくる重要な概念です。

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