12の色(光)と1つの色PINK(闇)

色による自己実現 
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われわれの理性は、貪欲に侵されていなければいないほどその分だけよりよく機能するようになるのである。

自らの非合理的な情熱に囚われている人は、客観的な判断をする能力を失い、必然的にその情熱のなすがままになる。そして、自分は真理を表出しているのだと信じて、その合理化をおこなうのである。

Erich Fromm 

われわれの12色(光)は、’PINK’に侵されていなければいないほどその分だけよりよく機能する様になる。

私たちの意識は常にPINKという色によって侵されています。

この’PINK’に侵されると私たちの意識はよりよく機能する事が出来なくなってしまいます。

ここで言う’PINK‘とは、私たちを上手く機能させなくする力であるという事になります。

’PINK’とは、’私’に強く執着させる色でもあります。PINKとはひたすら自己欲求を満たそうとする力でもあります。’私’に強く執着させ、その’私’をひたすら満たそうとするとき、私たちは完全にこの’PINK’の手の中という事になります。

私たちは、自分を満たす事をこれまで良しとしてきましたが、この自分を満たす行為というのは、かえって自分を滅ぼす行為であるという事を知らないといけません。

’私’に強く執着し、その’私’の欲求を満たす事に奔走する事で、私たちは自分でも知らない内に自身の本質から、つまり色(光)から離れてしまっているという事になります。

PINKとは外界にある様々なものを貪り食おうとする欲求の事を指します。

自分の中にある様々な自己欲求。それを私たちは日々の生活の中で満たそうと奔走している訳ですが、これが、私たちを狂わせているという事になります。私たちは、この’私’の持つ自己欲求を満たそうとすればするほどに自身の本質からずれていきます。

みずからの自己欲求に囚われている人は客観的な判断をするための能力を失い、必然的にその自己欲求のままになる。

フロムの言う非合理的な情熱というのは、自分の自己欲求に囚われている人を指しています。

つまりPINKに侵された人をここでは指しています。

自分の自己欲求に囚われている人(つまりはPINKの人)は、自分の欲求をいかにして満たすか?という事しか頭にないため、客観的な判断をするための能力を失います。

自分に強く執着している為に、自分の周りにある世界を冷静に見てとる事が出来ないという事になります。

PINKという色に自身が囚われると、その人はもう完全にPINKの虜になり、それ以外の色を認識しようとはしなくなります。つまりは、PINK一色になってしまい、他の色には何の価値も見出せなくなるという事になります。

’私’に強く執着し、そして自らの自己欲求を満たそうと奔走する人にとっては、色(光)とは何の価値もないものとなってしまうという事になります。

PINKという色に自身が囚われると、他の色の脱価値化が起こってしまいます。そして、最も恐ろしい事はこのPINKという色に囚われてしまうと、私たちは自身が持つ色の記憶を徐々に失っていってしまうという事です。

PINKという色は、私たちの記憶から色(光)の記憶のその全てを奪い取ります。

私たちが色(光)と共に生きたその記憶をPINKという色は奪っていきます。なので、’私’に強く執着し、その自己欲求を満たそうと奔走しているものは、色(光)との繋がりを完全に失っています。

つまり、自己のコントロールが不能な状態になっているという事になります。私たちは自身の中にある色(光)によって、自分がコントロールされています。つまり色(光)の力によって、私たちのこの心は管理され、そして維持されているという事になります。

しかし、このPINKに侵されてしまっている人たちは、この自分の中に自分を自制する力、色(光)の力を持ちません。

なので、何処までもこの’私’というものを求めようとしてどんどんと貪欲になっていきます。

自身の中に色(光)を失うという事は、自分を自制する力、自分をコントロールし、そして管理する力を失うという事に等しいのです。

馬はその手綱を人間によって引いてもらう事で、その動きを制御されています。

これと原理は同じで、私たちは色(光)によって自身を制御、コントロールしてもらわなければならない存在という事になります。

この色(光)による導き、そして管理、制御がなければ、人間である私たちは、自分の力で自分を維持する事など出来ないという事になります。

馬主

私たちは自分の欲求を求める事を良いこととして、むしろ’私’の欲求を求める事はいい事だとして、自分のすることのその全てを皆、合理化したり、正当化したりして生きています。

自分が求めているものは正しい!とそう信じて私たちは大きく口を開いたPINKの中に落ちていきます。

自分の欲求のままに生きる事は善であるといったそう言った思いが、私たちを一気にPINKの世界へと向かわせます。

私たちは自分の欲求に基づいて生きているというのは、偽りでしかありません。

私たちは真なる自己欲求に基づいて生きているのではなく、PINKに見せられている偽りの自己欲求を単に求めているにすぎません。

こうした事に早くに気づく事で私たちは自分が求めている欲求が、PINKによって見せられている偽り(食べても食べても永遠に満たされる事のない欲求)であるという事を知る事になります。

何をどれだけ食べても、お腹は一杯にならない。

これが真実なのですが、私たちはこの真実をそのままに受け入れる事が出来ないために、この事実を歪曲させてしまいます。

実際にはお腹は一杯になどなってはいない。何も満足などしてはいない。けれど、お腹が一杯になったとそう言うのです。

そう言わなければ、自分が自分を維持できない。だからこうした嘘を自分につくという事になります。

そうやって、何度も何度も自分に嘘をつき続けていくと、いつしかその嘘が本当の様に感じられる様になります。

これまではそこに違和感を覚えていたはずなのに、不思議といつからか、そこに人間というのは何の違和感も感じられなくなります。

こうなってしまったらおしまいです。そこに何の違和感も感じられなくなった時というのは、まさに自分のその全てがPINKに全て吸収されてしまった時であると言えます。

そしてこのPINKに自身が全て吸収されてしまった時に、私たちは自分が真なるものを求めていると信じ、その合理化をおこなう様になるという事です。

私たちは真なるものなど求めてはいない。だから、いつまでたってもこの心には何とも言えない空虚感が残っているのだという事になります。

私たちが求めるものではこの心は一生満たされる事はありません。

真に私たちのこの心を満たすものがあるとするならば、それは色であり、光でしかありません。

この色(光)を求める事で、それを自身の中に少しづつ回復させていく事で私たちのこの心の中にある何とも言えない空虚感は満たされて行くという事になります。

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