自己犠牲と満足感(Magenta の精神分析)

イエスキリストMAGENTA
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自己を他者に捧げること、それが素晴らしいことだという教え

わたしたちは小さいころから、自己を他者に捧げること、つまり他者の為にある事こそが素晴らしいことだという刷り込みをされて育ってきました。

自分の身を犠牲にして他者の為にあることは何よりの喜びである。他人の為に奉仕し、そして生きることは何より喜ばしいことである。

こういった教育のもとに生きてきました。

なので、私たちは自然と誰かの為に自己を捧げることを自分の中で良しとしてしまっています。

こうした特徴を顕著に持つのがMagentaです。

教育を受けている少年と少女

MAGENTAを好む人は自己を他者の為に捧げることを自らの使命と感じている

この色を強く持つタイプの人は、自己を他者の為に捧げることが当たり前のことだと思い、それを1ミリも疑うことがありません。

他者の為に生きること、それこそが自分の本望であると思っています。

この色の影響を強く受けている人は、とにかく自分というものを他者に捧げたくて捧げたくて仕方がありません。

Magentaとは自分が犠牲の血を流すことによって多くの人が幸せになればいいといったこういった思想を持っています。

他者の為に自分が犠牲になり、それで自分が多量の血を流そうとそれすら自分にとっては喜びであるとそういいます。

彼らは自分を他者に捧げること、他者の為にあることでしか自分の価値を図ることが出来ません。

自分の価値は他者の為に犠牲になる事でしか見いだせないという幻想

このタイプの人は、自己価値を図る時、自分がどれだけその他者に貢献できたか?その他者の為に自分のその身をどれだけ犠牲にできたかで、自分の価値を図ろうとします。

なのでもし、自分が自分以外の他者の為に何もすることが出来なければ、このタイプの人間というのは、自分に全く価値を感じません。

彼らは自分の身を捧げてこそ、そこに自己価値を見出すタイプです。

なので、誰かの為にありたくてありたくて仕方がありません。

もうこれは強迫的な行為であるとも言えます。彼らは自分を他者に捧げることでしか、自分に価値を与えることが出来ないのでとにかく必死です。

なのでこの色のものは、自ら何かを探し、相手の埋められていない何かを埋めてあげようと奔走します。

相手に足りていないものはないか?と聞き、その相手が何か不足を感じていれば、その不足を全力で解消しようとします。

彼らは、その相手の不足を埋めることを目的としている訳ではなく、彼らの行動の原動力になっているのは、自己価値の獲得にあります。

親切な人ほど自己価値を求めている

よく頼んでもいないのに、次から次へと自分の為にいろいろとしてくれる人がいます。

そんなにしなくてもいいのに、自分でできるのにと思うことまで手を出して、相手の為に行為しようとする人がいます。

彼らは自己価値が欲しくて、そののどはカラカラに乾ききっています。

誰でもいいからこののどの渇きを潤してくれ!と言わんばかりに、自己犠牲を働き、その代償として自己価値を得ようとします。

Magentaという色を持つものは、自己犠牲を働き、他者の為に血を流すことに喜びを感じます。

彼らはまるでゾンビのように他者にしがみつき、その他者に自分の血を分け与えようとします。

自分の血に価値があるという事、それを何としても認めさせたいということになります。

私が犠牲にしたこの血のおかげであなたが生きていられる。そう思うだけで、この色のものは強い高揚感に包まれます。

私という存在が役に立っている。

何かの役に立っている。

それがMagentaからするとうれしくて仕方がないということになります。

相手の役に立っているということが喜び。その裏にある心理とは?

Magentaの影響を強く受けているタイプの人というのは、相手の役に立つことに最上の喜びを感じますが、これは、自分が役立つものであり、そしてその役立つ自分には価値があるとそう思えるからそこにこれ以上ないほどの喜びがあるのだという事になります。

だとしたならば、ここで考えるべきことは、あなたは他者の為に自らの血を流すことでしか、自分の価値を証明することが出来ないのか?という事になります。

他者の為に犠牲の血を捧げ続けることが私の最善の喜びとそうこの色のものは言いますが、でも、本当にそうでしょうか?

私は違うと思います。

他者の為に自らを犠牲にするもの

多くの人は自分が他者の為に血を流せる慈悲深い人間だという事にすっかり自己陶酔し、そんな自分を自己礼讃し、それで気持ちよくなっていますが、私にいろいろな話をしていくれた内的存在者はそんなMagentaにこう言います。

本当に自分の人生の全てを他者に捧げて、それで自分は幸せなのか?と。

自分とは他者の犠牲になるために、他者の喜びのための犠牲になるために生まれてきた存在なのか?と。

この内的存在者はこうしたMagentaに、他者の為にあることは喜びであるというその幼いころから刷り込まれた幻想を解け!とそう言います。

他者の為に自己を犠牲にし、それで本当にその他者の為になっていると思うのか?今一度冷静になって考えてみる必要があるとそういいます。

他者の為に自己を犠牲にすることに何故喜びを感じるのか?

他者のためにある事で、自己価値を図ろうとしていると書きましたが、この色の影響を強く受けているこのタイプは、はっきりといってしまえば、自分しか全く見えていない人という事にもなります。

周りが何も見えていない。完全に盲目状態です。自分、自分で自分の事しか見えていないし、全くもって冷静にそして、客観的に自分の周りにある世界をとらえることが出来ていないとも言えます。

他者の為にあろうとする人が、実は自分の事しか目に入っていない人間だったなんて言われたらかなりの衝撃かとは思いますが、実際にそうです。

彼らはむさぼるように自己価値を求めます。

他の動物を貪り食うハイエナ

なので、相手側の立場に立つという事が出来ず親切の押し付けをします。

相手は求めていない。

でも、求めているはずだ!といったこういった立場で相手との関係を構築してしまいます。

なので、その相手からしたら、~されることをこちらは何も求めてはいないけれど、この色を持つものはあれこれ言って、その他が求めてもいないものを過剰に与えてくるため、せっかくその他者の為にと奮闘しても、かえってその結果は他者からしたらいい迷惑という事になる事も少なくありません。

彼らは他者の為にありたいのではありません。

その心理の背後に隠れている本当の心理は、他者を利用して自分の満たされない思いを満たしたいというだけの事になります。

こうした強烈な自己欲求の虜になってしまっているのがMagentaであるといえます。

Magentaとは子供の為にといってなんでも買い与える親を象徴する

この色の傾向を強く持つものは、子供の為に子供の為にとか、誰かの為に誰かの為にという言葉をよく使って、自分の取る行動のその全てを皆、端から正当化していきます。

自分がしていること、それはとても良いことだ!とそう信じたいがゆえに、なんでもかんでも誰かの為に、子供の為にという謳い文句を口にします。

そう言って、自分は他者の為に生きているとそう自分に言い聞かせ、自分を悦なな状態に浸らせていたいのです。

分を悦な状態にするために他者を利用する。これが、Magenntaの持つ大きな特徴の一つであるとも言えます。

自分が価値あるものだと示したい。

だから過剰に相手が求めてもいないものを与え続ける。

それにより、自分は悦に浸ることが出来るかもしれないが、そうやって過剰に必要以上のものを与えられた他者は皆、最初はいいかもしれませんが、途中からはもうおなか一杯になり、最後にはその過剰に与え続けられるものによって自らを殺されてしまいます。

過剰なプレゼント

Magenntaの恐ろしいところは、強迫的に自己価値を求めるがゆえに、他者に対してよどみなく自らを与えるという事です。

よどみなく自らの血を与え、飲ませることにより、このタイプの色の人は他者を内部から破壊してしまうこともあります。

ここでいう内部とは精神的な部分の事を指します。

Magentaとは自分のおせっかいで相手を破壊してしまっても、それでも自己価値を求める強迫的な欲求は収まりません。

他者を破壊してしまったら、すぐに又別のターゲットを探して、そのものに自らの血を無理やり与えようとする。

それでもし、その相手がMagentaからの血を拒否しようなどという事があれば、この色のものは自分が求めている自己価値を得ることが出来ないと悟り、その他者を自らの怒りで破壊してしまします。

親切な人ほど私たちは警戒しないといけない

あまりにも過剰な親切は必ず私たちを滅ぼします。

もし自分の身近に過剰なおせっかいを焼く人がいたり、過剰な親切、サービスを与える人がいたら、それは少し注意した方がいいのかもしれません。

彼らは私たちの事ではなく、自分を悦に浸らせることに夢中です。

stop

その為に盲目的になり、客観的な視点を失っています。親切さというものにさえも、求められるのはやはりバランスです。

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