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色との繋がりを持たない私たちは非生産的な人間 – 色彩と無意識の世界

色との繋がりを持たない私たちは非生産的な人間

色による自己実現 
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人間は自然の支配者でありながら、自らの手によって作り出した機械の奴隷になってしまっているのである。

彼は,事物についてのあらゆる知識を持ちながら、人間存在というもっとも重要で基本的な疑問については、

即ち人間とは何か、如何に生きるべきか、人間内の巨大なエネルギーを解放して生産的に用いるにはいかにしたら良いか、という事については全く何も知らないのである。

Erich Fromm

 何故、私たちは人間存在という最も重要で基本的な疑問については考えようとしないのか?

フロムの言う様に、私たちは自分という存在をいかに生産的に用いるべきなのか?という事を考えません。もっと言えば、自分を生産的に用いるとは一体どういうことなのか?その事がまず理解できません。こうした事を言えば誰もが皆、自分は生産的に生きる事が出来ているとそう主張するでしょう。

フロムの言う生産的に生きるというというのは、何かを作り出す事を意味しているのではなく、色、つまり自分の中にある根源的なものとの繋がりを回復して生きる事を指しています。

私たちがその繋がりを失ってしまった色(光)との精神的な繋がり、これを回復して生きる事、これがフロムの言う生産的に生きるという事の意味です。

自分の中にあるこの根源的な色(光)と繋がる事で私たちは生産的な人間になる事が出来ます。なので今この現代に生きる人間の多くは、自身の中に内在するこの根源的な力(色)との結びつきが失われてしまっているという意味において、私たちは非生産的存在という事になります。

私たちは非生産的な存在である。しかし、その事を殆どの人がわかっていません。真に生産的存在として生きるには、この色との根源的な結びつきを回復する他ありません。

何故、私たちは人間存在という最も重要な疑問について考えようとしないのか?という事についてですが、それは、私たち自身が何も自己存在について疑う事がないからです。

私たちは自分が社会に出て働き生きる事で、その自分をすっかり生産的な人間であるとそう深く思い込んでしまっています。自分は生産的な人間であり、そしてその自分とは完全なるものであるという思い込みの元に私たちは生きています。なので、まずこの自己存在を疑うという事がありません。

人間とは面白いもので、何処かのグループに入り、その中で他のものと一緒にぐるぐると回っていると、自分とは生産的な人間であるとそう思い込むのです。でも、ここで知って欲しいのは、それはただ私たち自身がそう思い込んでいるだけであって、それは真実とは違います。

私たちは生産的な人間ではありません。自身の中にある根源的な力(色)との結びつきを持たない私たちは非生産的な人間なのです。

何かを作り出し、そして生み出す。それこそが生産的な人間な訳ですが私たちは独立したその自分が何かを想像し、そして生み出している訳ではありません。私たちはこの大きな社会の中で完全に個としての存在意義を失っています。

 社会という名のトリック

私たちはこの社会の中でそれぞれに仕事を与えられて生きている訳ですが、その仕事をそれぞれの人間がそれぞれの仕様によってそれらをこなす時、私たちはその自分を生産的な人間であるとそう思いますが、これこそがこの社会が私たち個人にかけたトリックです。

私たちはこの社会に上手くはめられています。社会というのは真実を隠すためにたくさんのトリックを使って私たちを騙します。

自分は社会に属しているから、その中で上手く機能する事が出来ているから、自分は生産的な人間であると思うのは間違いです。社会の中でいくら上手く機能し、その中でどれだけの成績を残す事が出来たとしても、それが自分を生産的な人間にしてくれる訳ではありません。この社会で何をどれだけする事が出来たとしても、私たちが色という根源的な力との結びつきを持っていなければ、その人の成す事がどのような事で例えあったとしても、それは非生産的な行為であるという事になります。

フロムの言う生産的な行為というのは、命を持つ行為の事を指します。私たち人間が自身の中にある色という根源的な力と結びつき、その上でする行為には命が、生命が宿っています。つまり、その行為にはエネルギーが、力が伴っているという事になります。

これとは逆に、色との繋がりを持たない行為とは、単なる行為でしかなく、その行為には何の命も、そしてエネルギーも伴っていません。前者に熱があるとすれば、後者には何の熱もありません。(ここでいう熱とは愛と同義です。)

生産的な行為というのは、この熱(愛)を相手に伝える行為でもあります。そして、その熱(愛)は相手の中に繋がり、そしてその相手の中に新たな熱(愛)を灯します。そうやって生産的な人間は他の中に熱(愛)を灯す、エネルギーを灯す事が出来ます。つまり、相手の中に光、力、愛を灯す事が出来るという事になります。

真に生産的に生きるとは、相手の中に光(色)、愛を灯し、そしてその光(色)、愛を認識させ、その光(色)、愛を拡大させる事に寄与できるという事です。相手の中に光(色)、愛を復活させ、その拡大に寄与する。そうやって、その光を、色、愛を繋いでいく。これこそがフロムの言う、もっと言えば、マルクスの言う生産的人間の姿です。

社会とは実に巧妙なトリックを私たちに仕掛けてきます。社会に出て働くという事で、私たちは自分が生産的な人間になった気がしていますが、それは全くの誤解です。相手の中に光(色)、愛の炎を灯す事が出来なければ、相手の中に真にその生命を宿す事が出来なければ、それは生産的な行為であるとは言えないし又その人が生産的な人間であるという事も言えません。

真に生産的な行為とは、自分以外の他者に命を与えることであると言えます。そしてその命とは、その人の中に色(光)、愛との繋がりを回復させる事にあるのだと言えます。

色(光)、愛というのは、人間を唯一人間たらしめることの出来る力です。この力を自分以外の他者のその心の中に灯すことが出来て始めて、その人は非生産的な人間から生産的な人間になる事が出来るという事になります。

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