人間的目覚めとマトリックスの破壊

色による自己実現 
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深い催眠状態にある人は眼を開いているかも知れないし、歩いたり、話したり、何かをしたりするかもしれない。

即ち彼は「行為」をするのである。エネルギーが消費され、ある変化がおこっているのだから、活動の一般的定義は彼にも適用される。

しかしこの活動の特殊な性格と属性とを考えてみるならば、催眠状態にある人は実は行為者ではなく、暗示という手段を用い、その人を通して行為する、催眠術の実施者が行為者なのである。

エーリッヒ・フロム 「人間における自由」より

自分は目覚め、行為しているという思い込み

私たちは自らに目覚め、そしてその自らの意思に基づいて行為しているとそう思っているのかもしれないけれど、実際にはエーリッヒ・フロムのいうように、私たちは深い催眠状態の中にいます。

その中にいて眼も開いているかもしれないし、歩いたり、話したり、何かをしたりするかもしれない。

そうすることで自らのエネルギーが消費され、ある変化が起こると、私たちはそれをもって自らが活動したとそう認識します。

でも、実際には、その行為はある意味ないに等しいといえるのかもしれません。

私たちは、行為するということの本当の意味をまだしっかりと認識することができていません。フロムのいうように、私たちは未だ催眠状態にあります。

私たちは、何もかも自らの意思に基づいて、自分の意思決定をしているとそう思っているものと思いますが、実際は違います。

私たちの意思決定、これは皆私たち自身の意思に基づいたものではありません。

私たちの意思に基づいたものではなく、フロムのいうように、私たちは単なる意思なき者、眠ったままのもの、私たちの背後には私たちの意思決定のもとになる実施者がいて、はっきりと言ってしまえばその実施者がすべてということになります。

暗示という手段を用いて、その人を通して行為する

私たちは自らの意思に基づいて行為しているとそう思わされているだけです。

私たちが自分の意思だと思っているものは、この行為者本人である実施者の意思ということになります。

私たちの意思、それはあるようで本当はありません。私たちはただひたすら眠っているだけです。何もかもすべてうまく計算されて作られています。

世の中には自分が行為していると思わせたい実施者がいる

私たちは皆、この実施者に催眠術を掛けられているような状態です。

何もかも自分で行為するわけだから、それは自分の意思で動いているような気はしますが、実際には、私たちは私たちの背後に存在する力の操り人形でしかないということになります。

そのような状態にいながら、それを私たちは認識することができません。

これはかなり深い催眠にかかっているとしか言いようがありません。まさに、私たちは完全なるマトリックスの中です。

私たちは自分たちの意思で動いているのではありません。私たちには意思などありません。

その意思は私たちの背後にある者の意思でしかありません。

私たちは皆、自由意志なるものを持たされてはいません。

この世界はあたかもその自由意志を個人が持っているように感じられるように上手に設計されていますが、実際には、私たちに自由な個人意思などありません。

私たちは皆、完璧なシステムで動いています。計画されたとおりにそれぞれの人間がそれぞれの働きをしているということになります。

このマトリックスから抜け出す方法はあるのか?

この緻密に計算され構築されたこの世界から抜け出すためには、私たちは自分たちの背後にあるものが何であるのかをよく認識し、そしてその背後にあるものの入れ替えを行う必要があります。

私たち人間というのは、おおきく分けて二つの力のこのどちらかの影響を受けています。

これをいつものエントロピーの法則で説明するのであれば、エントロピーが増大するとき、私たちは完全なるマトリックスの中に入るということを意味し、このエントロピーの減少に努めることができれば、私たちはこの緻密に計算され作られた世界から抜け出すということができるということになります。

私たちには自由意志などないといいましたが、この自由意志とは(光)と強い結びつきがあります。

この光との結びつき、これが感じられない、認識できない、だから、私たちは今生きているこの世界がマトリックスであるということにも気づくことができないということになります。

光との結びつき、これがあるところに自由意志というものは生まれます。

この光との絆を失ったところにあるのは、偽りの作られた自由意志です。

真に感じるという体験は、この光との結びつきのあるところでしか感じることは出来ません。

光との繋がりを失った状態で味わうそのすべての思い、これは皆、幻想でしかありません。

こうした状況下で私たちは何かをするたびに何かを感じているとう思うかもしれませんが、それは実際に感じているのではなく、感じているように思わされているということになります。

真に体験するとは、光との絆失くして感じられるものではない

私たちは光と強く結びついているとき、その時に真なる自由意志を持つ人間となる事ができるということになります。

この光との絆、これを失った状態で体験する何ものも、それはある意味、どんなに幸福な体験でも、それは真の意味で生命を持ちません。

真なる幸福というものは、いつも、私たち人間の精神をさらなる高みへと昇らせてくれるのです。

真なる体験、真なる経験、これらは私たちの精神をいつでも次のステップにアップグレードしてくれる力を持ちます。光は私たちの心の領域を拡張してくれるものでもあります。

私たちが光とその絆を回復するとき、その光は私たちの人間性を一回りも二回りも大きくしてくれます。

私たちの精神が大きく拡張されたとき、私たちを覆う偽りのマトリックスは確実に破壊されます。

マトリックスとは自らの意識、精神の拡張によってしか破壊することは出来ません。

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