幻影(PINK)は真実(12の色)より好ましい

色による自己実現 
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苦痛を回避し安楽を最大限にすることが至高の価値だというのなら、たしかに幻影は真理よりも好ましい。

他方、すべての人間は歴史のどの時代においても十全たる人間になる潜在的可能性を有して生まれ出ているのであり、その死とともにその人に与えられた1つのチャンスが過ぎ去るのだとすれば、幻影を振り払い、人格を最大限に充実させるという事が持つ人間的価値は十分擁護するに値する。

さらに諸個人が物事をよりよく見える様になれば、できるだけ早い時期に社会的、個人的な変化を作りだす可能性も高くなる。

そうすれば、その精神や勇気や意志が衰えて変化のためのチャンスが消え去るまで、逡巡するというよくあるパターンにも陥らないだろう。

Erich Fromm

 苦痛を回避し安楽を最大限にする事が至高の価値だというのならたしかに幻影は真理よりも好ましいとはどういうことか?

人間というのは、苦痛を回避する為に、フロムの言う様に真理よりも自分で作り出した幻影を好みます。

真理というのは常に、その人に苦痛を与えます。真理というのはある意味とても強い苦しみをそのものに与えます。

何故、真理が苦しみであり、そして幻影が喜びであるのか?真理というのはうそ偽りのない状態を表します。

なので、その真理とは当然自分には受け入れがたい事も含まれていると考えます。

人間はその自身に受け入れがたいその真理を目の前にすると、それを引き受け苦しむ自分を想像してしまい、なかなか真理というものを自身のものとして受け入れる事が出来ません。

真理というのは、巷では喜びである。人間の解放であるとそう言いますが、それは確かにそう言われればそうかもしれませんが、実際にはそんなに簡単なものではありません。

真理というのは、これまで自分が必死に作り上げてきた幻影その全てを破壊します。

そして、そこにある自分が受け入れる事が出来ずに、その形を偽ったそのもののありのままの姿をその者の眼前に叩きつけます。

真理とは常に人間である私たちの心を色々な方法で試します。

試しながらも強化していきます。これがあなたにとっての真実ですが、この真実をあなたは受け入れる事が出来ますか?

この真実を自分のものとして受け入れる事は出来ますか?とそう言って真実は私たちに迫ります。

あなたは、この真実を受け入れる事が出来なかった。だから自分に都合のいい幻影を作り出し、そしてその幻影を自分の真実として今まで生きてきた。そのあなたにこの真実を受け取る事は出来ますか?とそう真実は言います。

ここで多くの人間は、この真実の問いかけに対して恐怖を感じ、その真実からの問いかけから耳を逸らします。

真実の声がしっかりと聞こえているはずなのに、その声を無視し、そして真理などというものはない。自分が作った幻影こそが真実であると、そこで事実のすり替えをして自らを人間は正当化してしまいます。

真実というのは、よく自分の心を開けば常にその心に語りかけています。

私たちは、自身にかかるその様々な恐怖から、この真実の声を聞く事から逃げています。

真実は常に私たちの心に語りかけています。そして、その声を聞いて自身と闘う者を探しています。真実というのは真に人間になろうとするものをいつも待っています。

しかし、この真実からの問いかけに答え、自身の幻影を壊し、そしてありのままの自分の姿を見、知ろうとする人は殆どいません。

皆、フロムの言う様に苦痛を回避する為の幻影を愛しているという事になります。

勇気を持って自分自身を知ろう、自分の真の姿を知ろうとするものは殆どいないという事になります。これが、フロムの言う幻影は真理よりも好ましいという事の意味になるかと思います。

 真理とは12の色(光)であり又、幻影とはPINKという色で表す事が出来る

フロムの言う真理とは、光に向かおうとする力の事を指します。

これを私のやっている事に合わせるのなら、真理とは自分の中に内在する光(12の色)を回復させる事に当たります。

人間というのは、皆自分の中に内在する光によって自分の本当の姿が露わにされる事を怖れています。それだけ今ある自分というものを私たちは美化し、そして自分に都合のいい状態にしているという事になります。

自身の中に色を回復させるという事は、自分の中にある自分で歪めてしまったその歪んだ価値観、ものの見方、これを正しく見、そして認識していく事を意味します。

私たちは自分の中に12の色(光)を持っているという事になりますが、これを私たちは、自分で自らの内にある恐れから、無意識的に遠ざけてしまっています。

色というものを求めながらも、意識の深い部分、無意識的な部分で私たちは色を拒絶しているという事になります。

これはとても逆説的に聞こえるかもしれませんが、私たちは光(12の色)を求めながらも、同時にその光(12の色)を自身に受け取る事を拒んでいるという事になります。

私の扱うこの12の色というのは、これまでずっと偽ってきたその偽りの全てを全部溶かしていきます。

なので言ってみれば、その人に苦痛しかもたらしません。何もかもその全てをさらけ出してしまうので、その人にとっては苦しみしかもたらしません。

私たちは光(12の色)を求めながらも、その光(12の色)を拒んでいる。そしてその私たちが最も愛しているのは、幻影(PINK)であるという事になります。

PINKという色は、私たちを生きやすくするために光の消滅をうたいます。

光は苦しみしかもたらさない。よりよくフロムの言う様に安楽を最大限にする事を至高の価値とするためには、光(12の色)からより遠くへと遠ざかる事だとそうPINKは言い、私たちを誘惑します。

私たちはこのPINKの声に常に影響を受けています。そしてそのPINKの声こそが自分達にとっての真実であるかのように思い込まされています。なので、自身の中にある光(12の色)を回復させようとしません。

光は人間を導くなどとよく巷では言われていますが、そういう事を言っている人ほど意外にその光を強く自身の中で拒絶し、そしてPINKを愛している事が多いのが現状です。

こうした事を知らずに、光を謳う事がいかに危険な事であるのか?それを私は皆にぜひとも知ってもらいたいと思います。

私たちは意識上では光を求めながらも、その意識のもっと奥深い無意識の部分ではPINKを求めている、安楽を求めているという事を知らなくてはいけません。

誰も自ら好んで苦しみを選ぶ人はいません。

安楽を求めながら、真実を求める事など出来ません。

安楽を指向している限り、真理などというものと自身が結びつく事は絶対にありません。

何度も言いますが、真理とは、光とは時に私たちに想像を絶するほどの痛みと苦しみをもたらします。

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