今日はGOLDのKeyword:寂しがり屋について分析していこうと思います。
自分を強く見せたいとき人はGOLDを求める
この色を好む人は、一見するととても華やかで明るくゴージャスに見えますが、その内面はこの真逆です。彼らはとても弱く、そして依存的です。いつも誰かといられないと一人ではいられない、そうした精神的弱さを無意識の領域では抱えています。
彼らは、いつでも自分を強く見せたいとそう思っていっる傾向が強くあります。本来であれば、別に強く見せる必要などなく、ありのままでいいはずなのですが、この色を強く好むとき、わたしたちは自分を外部の人間に対して強く見せようとしています。
この色を強く好むとき、その人の心の深い部分にある問題とは、他者になめられたくない、自分をみくびられたくないという思いがあります。
なので、高価で価値ある外的なもので自分の身を覆い、それで強い自分を演じているということになります。こうした行動は、GOLDの持つ心の弱さからも来ています。
自分の身をGOLDで固めなくてもいいのに、固めずにはいられない。金など本当は必要ない。でも、その金(GOLD)が欲しくてたまらない。そのGOLDがなければ心もとない。
自分がなんだかとても貧相に見えてしまう。そうこの色を強く好む人は思っている傾向にあります。
自分に自信を失った時ほど人はGOLDを選ぶ
GOLDを選ぶとき、この色に強く惹かれるとき、私たちはある意味自分に自信を失っています。自分に自信が持てない。だからこそ、この色を身に着け自分を外部の敵から守っているといってもいいのかもしれません。
この色を好むとき、私たちの視野というものもとても狭くなりがちです。これも又一見すると、とてもそうは見えないかもしれませんが、この色を好むとき、私たちはある種自分自身の中に完全に閉じこもってしまっています。
内面的には、そうした状態にありながら、でも一歩外に出てしまえば、きらきらと輝いた自分を演じる。この内面と外面の間にある差異はものすごいものです。
なので、この色を好むとき、私たちは肉体的にも、精神的にも、ものすごくストレスがかかり疲れているということになります。
GOLDとはとてもパワーのある色だといわれていますが、それは私たちがそう思っているだけです。この色には、私たちが思っているほどのパワーはありません。
この色はいろいろな意味でネガティブなものをたくさん吸い込む色でもあります。周りにあるものを需要する力があるという意味では力はあります。
自分をよく見せようと、外面的にも、内面的にもフル稼働させる色であるとも言えます。
ある意味、この色は自分を休ませることを知らない色といっていいのかもしれません。どんなに疲れていても、自分を鼓舞し続ける。
もうこれ以上は無理!を絶対に許さない。
つまり自分にとってとてもシビアな色ともいえるのかもしれません。GOLDは私たちを舞台の上にあげ、そのうえでずっと他人を喜ばせるために踊っていることを強要するような色とも言えます。
休みたいのに休めない。
サービス精神旺盛なGOLD
GOLDとは他人を喜ばせることがとても大好きです。
というよりかは、こうしたことを自分でもよくわかってはいませんが、強迫的に行っているといっていいと思います。
自分の体も、心ももう止まること、休むことを望んでいる。けれど、GOLDはそれを止めることが出来ない。人を喜ばすこと、人のためにあること、これを強迫的に行います。
この強迫的な行為からこの色を好んでいるときは上手く逃れることが出来ません。
GOLDの心の中は常に不安でいっぱい
この色の心の中は常に不安でいっぱいです。
自信があるように見えて本当は自信などありません。いつもその心はおどおどしていておびえています。でも、それを素直に表現することがこの色にはできません。
いつからGOLDは自分の中にある不安や恐怖を素直に表現することが出来なくなったのか?
この色を好むとき、私たちは自分の心に素直に反応することが出来なくなっています。
なぜ、自分の心に素直に反応することが出来なくなったのか?その原因と考えられるのは、幼少期にあると思います。
幼いころ、自分の中にあった不安や恐怖心これを自由に表現すること、これを何らかの形で外部の人間によって抑えこまれていた可能性が大きいです。
基本、この色を求めるときや、この色を好む人は人に迷惑をかけてはいけないという強い縛りの中に生きています。自分の事は自分でなんでも解決しないといけない。
人様の手を借りてはいけない。なんでもかんでも自分ですること、それが正義!みたいな考えをGOLDを好む人や、その傾向が強い人は持っています。
と考えていくと幼少期、この色を特に強く好む人というのは、人に迷惑をかけてはいけないといった教えのもとに生きてきた背景があると考えることが出来ます。
自分の事は自分でするのが正義。
人の手を借りて何かをするなんてことはあり得ない。何もかも全部自分の力でする。人など頼ってはならない。こうした精神的な縛りがGOLDの心の奥深くにはあります。
もっと精神的に自由であっていいはずなのに、全然自由ではない
GOLDとは、はたから見ればとても自由そうに見えるかもしれませんが、その心は全くの不自由です。
自分を自分でがっつりと縛って、その自分に自由を与えようとはしません。
つまりは、自由であるように外面的には見せてはいますが、内面的には自由であることを、無意識的に否定しているということになります。
外に出れば、自由に生きることを大きな声で謳い、でも家に帰ってくると、その自由を自分には与えない。自分のために自由を謳うことはない。
GOLDとは絶対に自分が自由であってはいけないという精神的な縛りで自分を縛っています。
そしてその苦しみから逃れることが出来ていません。
というか、むしろ、そうやって自分を縛り、ストイックに物事を進めていこうとする自分に酔っているという部分も少なからずあると思います。
これは又別のところで記事にしますが、GOLDの傾向を強く持つタイプの人は、自分で自分をいじめ倒すことに性的な快楽を覚えるところがあるともいえます。
ストイックである事が素晴らしいことではない
なんでもそうですが、ストイックであることが素晴らしいことではありません。なんでも間でも禁欲的にし、我慢することが素晴らしいことではありません。
大切なのは、その時その時で柔軟に対応して生きていくことです。
GOLDはもっと自分の中にある声を表に出していい
人に迷惑をかけるからといって口をつむんでしまうことではなく、GOLDはもっと自分を、今あるそのありのままの自分を表現し、そして自分の周りにいる人たちに今の自分を知らせることがとても重要です。
助けて!辛いんだ!とそう吐露してみてください。もっと素直に自分を表に出してみてください。そんなことは自分のプライドが許さない!ではなく、強い自分を演じるのではなく、人受けの良い自分を演じるのではなく、ありのままの自分、それをもっと周りにいる人に見せて本当の自分を知らせるべきです。
誰も自分を受け入れてなどくれないといった漠然とした恐怖心
こうした恐怖心を自分で払拭していくこともGOLDの持つ課題の一つです。誰も自分の事を受け入れてくれない。
こうした思いを抱くようになってしまったのには、それなりのプロセスがあります。
そのこれまでのプロセスを辿って、過去にさかのぼっていけば、その自分を受け入れてくれなかったのは誰なのか?その一番のソース(源、根源)となっているのは誰なのかがわかります。
自分にそうした感情を抱かせたその根源が何かがわかれば、自分の周りにいるそのすべての人間が自分を受け入れない訳ではないということも徐々にわかってきます。
自分を受け入れてくれる人と、受け入れてくれない人との間にしっかりとした線引きができるようになります。
自分の事をわかってくれないのは一体誰だったのか?受け入れてくれなかったのは誰だったのか?その一番の大元は一体誰だったのか?それを突き止めることはとても重要です。なぜなら、そこからすべてが始まり、そして今ある自分というものが形成されているからです。
私たちは何もわかっていない。自分の事をわかっているようで何もわかっていない。
自分についての情報をちゃんと整理することが出来ていない。だから、合理的に動くことが出来ません。
GOLDの心理的傾向を強く持つ人は、ありとあらゆるものを使って自分を消してしまおうとします。
先にも書きましたが、人に迷惑をかけないように自分の存在自体を消してしまおうとします。
表面的には、目立つかもしれませんが、でも、自分自身(個性)という意味では完全に全体の中に埋もれてしまいます。
彼らは個性があるようで、本当はその個性を自分で殺しています。
自分の個性、自分が持っているもの、そのすべてを否定し、自分の外にあるものに救いを求めようと外部に強く依存します。
GOLDを好む人は、実は個性的に見えてまったくもって個性的ではない。
むしろとても平均的、標準的です。彼らは、自分を必死で偽り、個性的に見えるようにしているだけです。そうやって、自分の本当の個性を完全に消しています。
個性的に見せながら、本当の個性、本当の自分をその中で殺しているなんてちょっと悲しいですが、実際問題そうなります。
なので、個性的であるといわれる人ほどより普通だったりします。変に彼らに期待しても普通の返事しか返ってこないのはそのせいです。
個性的であろうとすること、これはGOLDという色の傾向を強く持つ人にとっては、自分を守るための防御の色ということになります。
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