自分に力を失った時、私たちは他人に深く依存する。自分を深く信じられなくなったとき、私たちは他人に深く依存する。自分を諦めたとき、私たちは自分の全権限を他人に渡す。そして、自分を見失う。
私たち人間の心の中には、光と闇がある。その光が自分の心の中で弱まり、力を失うと、私たちは一気に他人に対して依存的になる。光とは、自分の意思であり、’私’のこと。その私が生活していく上で徐々に消えていく。
’私’を持つ事による弊害
家族との関わり、社会との関わり、こうした関係性の中で’私’を持っているとどうしてもそうした外部との人間関係において摩擦が生じる。
そしてその外部との間に起こる摩擦から自分を守る為に、多くの人はこの’私’というものを捨てていく。
全ては自分を守る為。自分の保身の為。自分が傷付くのが嫌だから、だったら、その傷付く母体である’私’を捨ててしまえば楽になるとそう多くの人は考える。
しっかりとした’私’というものを持って生きると、自分を取り巻く社会との摩擦はどうしても避けられない。’私’という個体を全てとかして、完全に失くし全体と融合してしまった方が人間というものは生きやすい。
だから、自分を守るために私たちは自分を、’私’を捨てていく。
自分で自分を殺していく。そうすると、いつの間にか自分が消えていなくなる。自分の軸であった自分が消えてしまう。そうすると、私たちは心もとなくなって、結果他人に依存する。
誰かがいないと、誰かに頼らないと生きていけなくなる。
自分を自分で殺してしまった結果、私たちは自分で何も判断が出来なくなる。
だから、誰かに依存して、何を決めるにも、その誰かに判断を仰ぐ。
私たちは、自分をとりまく世界や環境に馴染み生きていくために、’私’を捨て、そして誰かに依存する。
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