・この世界は誰かの作ったゲーム?
この世界がもし、誰かが作った一つのゲームだったとしたらあなたはどうしますか?私たちはその誰かの作ったアバターで、そのアバターは誰かの所有物だとしたら・・・?
私たちは、毎日せっせと働いたり、何らかの活動をしている訳ですが、それももしかしたら、このゲームを作ったその作り手にせっせと働かされているのかもしれません。
今NFTゲームの中に完全放置型ゲームというものがいくつかありますが、これらのゲームは、そのゲーム内のキャラクターにお金を稼いでもらうというシステムになっています。
このゲームは稼ぐためにいくつかのキャラクターを購入し、そしてそのキャラクターを様々なゲームの中で働かせるわけですが、この構造を見ていると、この今私たちが生きているこの世界もまた、この放置型ゲームともしかしたら全く同じ原理でできているのかもしれないと思ったりしてきます。
この放置型ゲームの中では様々なキャラクターが一生懸命働くわけですが、彼らからすれば、自分が誰かに買われ、そして働かされているとはもしかしたら思っていないのかもしれません。
彼らはただ一つのゲームという世界(彼らにとったら現実世界)の一場面の中で自分の意思をもって働いているとそう思っているのかもしれません。そこには自分という実体があって、その実体を自分は生きているとそう思っているということになります。
・ゲームの中の住人は自分たちが作られた存在だとは思っていないかもしれない
ゲームの中に住んでいるキャラクターたちはもしかしたら、自分たちが誰かの手によって作られた、もしくは誰かのお金によって買われた存在であるとそう自分のことを認識などしていないのかもしれません。彼らにとってはゲームの中のその一画面が、その日の世界そのものであり、それをゲーム内のキャラクターたちは何も疑うことはないのかもしれません。
これと同じように、私たち人間も誰かが作ったゲームの中の住人なのかもしれません。毎日せっせと働いてお金を稼いでいますが、これはもしかしたら、私たちを作った誰かが、毎日私たちにお金をかけてその能力やスキルをアップグレードしてくれているのかもしれません。
それに応じて、私たちの能力や才能は飛躍的にアップする。つまり、才能がある人間というのは、そのキャラクターの持ち主が、たくさんその私というキャラクターに投資してくれたということになるのかもしれません。そして、どんどんとスキルアップをしてくれたおかげで、才能が高い人間になり、その結果、そういった人間は収入も高いということになるのかもしれません。
・じゃあ、能力も才能もない非凡な人間には何の投資もされていないということになるの?
これはあくまで仮説ですが、能力やこれといった特別なスキルを持っていない人間というのは、そのゲームをするプレイやーが、あまりそのゲームに熱を入れていないとも考えられます。この人間育成ゲームにあまり興味がない。だから、そのままにしている。とりあえずインストールはしてみたけれど、あまり手を付けていないからキャラの経験値も上がらないし、そのために有用なスキルも手に入らない。だから、そういったキャラクターは能力が結果的に低くなってしまう。
これも、もしかしたらの話にはなりますが、この世界で有能な人間ほど、その背後で私というキャラクターを動かしているプレイヤーも有能ということになるのかもしれません。有能なプレイやーのもとにいれば、そのプレイやーによってその能力やスキルを上げてもらえるように、たくさんの経験値を積むことができる。でも、この私たちを動かす背後にいるプレイやーが有能ではない場合、私たちはあまり多くの経験をさせてもらえない。そうすればおのずと、経験値は上がらず、有能なスキルもてに入らない。つまり、自分(私)というものもアップグレードできないということになります。
どんどんどんどん次のステージに上がっていく仲間などを見ていると、もしかしたら、この世界は完全なる誰かの手によって作られた仮想世界なのではないかと思ってしまいます。
そして、こんなことを考えたりしちゃいます。私というキャラクターを動かしているプレイやーは一体どんな人なのだろう?・・・と。
・もしかしたら、今ここに生きる私たちを決定づけているのは、私たちを背後で動かすプレイヤーたちなのかもしれない
こんなことを言ったら、そんなことはあるわけがないとそういいたくなるのが普通だと思いますが、こうしたことを考えてみるということも時には面白いもので、これらをどこまでもとことん突き詰めて考えていったとき、意外に私たちは今ここで語られたことが真実かもしれないと思えて来たりするかもしれません。
なぜなら、毎日いくら頑張ったって思うように成果が出ない。自分はこんなにやっているのに、何もよい結果に結びつかない、どうして?と思うことが毎日生きていれば思うことはだれしも必ずあるじゃないですか。これってもしかしたら、私たちの日々の頑張りなど何も意味などないのかもしれません。何をどれだけ頑張ってみたところで、私たちはそのレベルのマックスまでしか成果を上げられないということです。
このレベルのマックスまでしか成果を得られないとするのなら、そのさらなる成果を求めて私たちはひたすら今は頑張っている訳ですが、もしかしたら、それは必要のないことなのかもしません。今あるレベルを私たちを背後で動かす者たちに挙げてもらえば、そんなに必死に頑張らなくても私たちはすいすいと上へ上っていける、より多くの報酬を得ることができる。これはあくまで仮説ですが・・・。
毎日いくら頑張って働いてみたとしても、そのマックス値が低ければ、その範囲内でしか報酬を得ることは出来ません。でも、そのマックス値が高ければ、同じに働いたとしても、その報酬額は全く変わってくるということになります。
これ、なかなかおもしろい仮説です。まあこんなことを言ってしまったら、じゃあ、この世界で私たちが必死に働く意味なんてないんじゃない?ってことになってしまいそうではありますが・・・。
もし、自分が誰かに買われている1つのキャラクターであったなら、ぜひともそのキャラ所有者にはかわいがってもらいたいものですね。
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